私は私である限り私が生きたいように生きることが出来ない
もう10年以上(20年以上かもしれない)その悩みが大きくなったり小さくなったり
人生とはある意味で自分が生きたいように生きるというそれだけのものだと思いますが
いつまでたっても自分の今までの人生の上に出来る生きたいように生きるが分からない
いつも見ないふりをしたり、違うんじゃないかなと思うけど
人生は積み木みたいなもので、失敗した土台の上には、形が思い通りだとか綺麗に作ろうとか以前に、下の方が抜けまくったジェンガみたいにバランスをとることしか出来ない
と感じる
私は当然のように周りが思い通りの形を作っていくなかで、ぐらぐら揺れる自分自身を支えるのが精一杯
上の方ならまだ作り変えながら出来ても下に行けば行くほど難しい
どうしようもない自分の今までの生活、
いつまでたっても歪さを愛せないし、落ち込む
一度も自殺を考えたことのないような他人の形が羨ましくてたまらなくなる
私も生まれてからあと他の人みたいにふつうの愛情を受けて育ちたかったなというのが頭を掠める
こうやって書いていても環境のせいにするなと誰かに非難されるんじゃないかと泣いてしまう
いつだって知らない人たちは怖い
こんな記事を書くのも本当は怖い
30年近く生きて普通っぽく振る舞う処世術を使えるようになってきたけど
家族以外ほとんどの人たちにこうやって夜中泣いてる本来の自分の姿を見られるわけにはいかないと必死で隠している
恐ろしく心の脆い性質を持って生まれて育った家庭はあまり健全とは言えず10代はほぼ全てうつ状態で自傷と自殺未遂の日々で
今10年以上カウンセリングに通い続ける自分をどうにか慰めながら生きていくのは
たまに叫び出したくなるくらい心が重くてしんどい
未だにどうしてそんなひどいことするの!って何度も幼少期を思い出しては、そんな風に過去にとらわれる自分がみじめで死にたくなる
それに私がどうやっても手に入れることが出来なかったものを持っている人たちに、
ちょっとでも私と同じ苦しみを知ればいいと思ってしまってる気がして恐ろしくてたまらない
人から目を背けられるようなボロッボロの人生をいつになれば私は受け入れることが出来るのだろう