正論とマイノリティー

全然文章に出来る気がしないテーマですが…
やっぱ今書いた方が良さそうなので、書く。
世間一般とは違って、私の感じることです…。
精一杯誤解を招かないようがんばります('A`;)
えーまず例えをあげると…
ひどい虐待を受けた人がいるとします。
その人はもちろん加害者のことが憎いはず。

そういう時、正論は
「相手を許さない限り、自分が辛いだけですよ」
という風ではないでしょうか。
えー、日本において、虐待を一切受けないで育った人なんて
1割にも満たないと思いますが、激しい虐待を受けたっていう人は
やっぱり、マイノリティじゃないですか。

一生忘れられない、苦痛を、特に幼いころ受けた人にとって
そういう言葉って鬼だと思いませんか。私は思う。
もしこういう正論に沿わなきゃいけない場合、
「許さなきゃ。過去のことはもう忘れなきゃ」
となるんじゃないかな。

でも、許せないことって、存在する。
どんなことがあっても。いくら時間が経っても。
人それぞれ色々違うと思いますが…。

そうなると、「許せない自分ってダメだ。辛い人生は終わらないんだ」って
…そういう気になりませんか?

そういう人に、「許せ、許せ」っていうのは激しい殴打と一緒ですよ。
そりゃ、許して、解放されて生きていくのが一番良いかもしれません。
でも、出来ないからってそれを責められる必要はないじゃないですか。
許せないって思って生きていくのもいいじゃないですか。
「私は、許されないようなことをされた」って
肯定することで、そのことをもう考えなくていいようになって、
逆に解放されることもあるんじゃないのか。

私が、正論を怖いと思うのは、
マイノリティのことを考えないところがあるからっていうのがあるんです。
(つまりそれが、一般論ということかな…。)

自分が激しい虐待を受けたわけじゃないのに、
虐待を例にあげてしまってごめんなさい。
でも、私は、正論とマイノリティに関して、こういう風に感じています。