死に追い詰められたということ

私は、自死のニュースから少なからず悪い影響を受けますが

その事実よりも他の有名人が精神疾患を理解してないしようともしないコメントを出してくることが一番辛い、誰の時でも、何度でも

 

高血圧って、なんで自分で脈を調整しなかったの?っていうのがとんでもない発言だと分かるのに、精神疾患には言っちゃうのは肉体の病気よりも精神の病気を下に見てるから

高血圧みたいな肉体の疾患が基本的に生活改善と投薬治療が必要なように、精神疾患もカウンセリングと投薬治療がないと死を避けられない病気

一体どこまで行ったら理解してくれる人が増えるのかが分からない

自死の話で本人を置き去りにしてまず親の話を持ち出してくる人が普通にいる世界で、どうやって私は苦しまないでいられるんだろう

私が感じることだけど、自死する人たちは家族思いを超えて、人生の長い期間自分の為じゃなく家族や周りのために生きてる人って多い気がする

誰かのために生きるのはいつか切れてしまう糸

家族がいるからじゃなくて、その人がかけがえのない人だったから死が悲しいんじゃないのか

 

苦しんで苦しんで亡くなった人たち

とにかく全てから解放されて安らかに眠ってほしい

天国と地獄の話

天国と地獄は同じ長い箸を使っていて天国は食べさせあって幸せで、地獄は分け与えないから誰も食べられないっていう話が実際の世界でも起きていて、しかも両者は交わらない(仲良くなれない)

 

地獄の人たちがなぜ分け与えないのかっていうのを私なりに考えたら、全員が「自分があなたより先に食べるに値するから、そっちがまず私に食べさせろ」って言うからじゃないかと思う

問題のある家族はこの地獄パターンに陥ってることが多い気がする

食べ物を尊敬とか信頼、感謝に置き換えることができる

 

これ、なんで天国側の人が与えることが出来るかっていうと、相手を信頼できる下地があるんだと思う

私が食べさせたら今度はそっちもよろしくね、と伝えることができて、それが実際に返ってくる、その経験があるということ

同等の扱いをされてるししてるということ

逆に地獄側は当然に返ってくる善意、つまり無性の愛を受け取った経験が少ないんじゃないか

自分がもらえないことが当然なのに、人に分け与えることは出来ない、でもそのせいで誰も幸せになれない

自分は下の者と扱われ、上になるためには自分より下に誰かを据えたいと思うこと

 

家族の中で(他の仲間内のグループの中でも)誰が一番偉いかを決めずにいられない人たちを見ると、この考えがよぎる

自分の役がどれだけ大変か言わずにいられない人たちは、自分がもらえないことが辛くてたまらないので、労りの言葉を誰かから奪い取ろうとしてしまう

 

なんで与えられる経験がないのかって考えると……育った環境に問題があったからという身も蓋もない場所に辿り着く

天国の人も地獄の人も、それが当たり前と思ってるから自分がどっちにいるのかを考えることはほとんどないんじゃないか

でも、私も、絶対に地獄側の人間だった

今まともな家庭を築けているのは、もちろん相性もあるけど

自分が地獄側の人間と思い精神を病みながらも誰かから奪い取るのはよくないと思えたからと思う

地獄からの脱出は大変でつらくて苦しいけど出来ないことはないと信じたい

空腹で倒れそうな人が他の人たちが食事をもらってるのを見て、もらえた人を殴り、私の方が空腹だと叫んでるんだとしたら、ただ悲しすぎる

与えられないから奪い取る環境が一つでも減ることを本当に望んでいる、肉体的にも、精神的にも。

つかれた

やはり心身共にバランスを崩しています

私の精神が怖がったり恐れたりすることをコントロールすることはできないので仕方ないと

震えるようなマジョリティの正しさとずっと距離を置くことでなんとか症状を出さずにこなすという方法、

盆正月はそれが許されずその場では何事もなかったような感じで終わっても後から後から苦しみの波が押し寄せてきてもうどうしようもない

家父長制、子孫繁栄そのあたりの考えに当てられ続けるのが正月

私が家事をしていてもなにもないが、弟がやっていると親戚の女性が取って代わるのを見たり

そういう息苦しさに私が耐えられないのは仕方なくないか??闘病してんのに

本当はその場でブチ切れたりして二度と来ないねって言うのが自分の人生には必要なんだと思うのに、それもできない

それでも一応死なないでいるんだから相当頑張ってるわ

 

ところで去年、年始にブログ記事を書いていたけど公開してなかった?みたいで

書いてることは全て今もわかるわかるって感じだったのでこの後に載せます

 

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実家に帰るのがつらい苦しい

実家に帰りたくない、本当に実家に帰りたくない

毎年正月に実家に帰ることが苦痛で今年はなおさら憂鬱がすごい

まず家族のことがそんなに好きじゃないのに半強制参加がつらい

でも、悲しいことに自分のわがままを通して欠席したら

つらい自己嫌悪を止められないことがわかっているから歯を食いしばって我慢しようと思っている

本当は、来なくてもいいよ、うちは旅行に行くし、みたいな親が良かったと思う気持ちがどうしても出てくる

田舎だから仕方ないと思うけどドライな親をもつ人が羨ましい

特に父と不仲なのを母親はわかっているはずなのに来させようとするのがつらい、涙が出る

共依存的な関係が長かったから、そうなるのかな

私がずっと頼ってばかりだったから今になってそのしわ寄せが来ているのか

私が地元から逃げられなかったからいけないのか

他のきょうだいはたぶん帰ってこない

遠く離れれば離れるほど親から来いと言われない

それが余計に自分の人生の暗闇を見るような気分になる

私はもっと実家にきてと言われるのに

自分が喉から手が出るほど欲しいと思う環境をもているように"見える"親戚と会って死にたいと思い続ける

正月っていうのは人生でずっとそう

結婚しても逃げられない

自分の病状が悪化するとわかっていて逃れられない

でも、がんばって耐えます

もし、他にもつらい気持ちで誰かの家に行く人がこれを見ていたら心から応援します

断ればいいと簡単に切り捨てられるほど単純でなく、色んな事情が絡み合っていることを私も知っています

できるだけ苦しまないように願います、誰かも私も

 

こんな記事が今年最後になってしまいましたが

今年も、更新は少なかったですが見てくれた方、ありがとうございました

メンヘラが精神疾患差別用語になっていく

メンヘラって言葉が急速に差別用語化していってて怖い

元々はネットの中で精神疾患の人たちが自称するための言葉だったのに

もう私はメンヘラって健常者が書いてるのを見るとかなり落ち込む

精神疾患者や精神障害者って言葉に入れ替えてそれ書いたり言ったりできるか?

リスカ見せつけてくる迷惑者なんだから仕方ないみたいなのを見る時あるけどそういうことコントロールできない病気が精神疾患

ただ気軽に書いてるだけなのにって話かもしんないけど差別用語って基本カジュアルに使われてたのが問題視されていったものと思う

若い人のコミュニティではかなり頻繁にメンヘラwwwwみたいに登場するのでウェブでも出来るだけ近寄らないようにしているけど

一般人だけじゃなくてウェブメディア運営でも突然目にしたり聞いたりすることが増えてかなり息苦しい

少し前ユーミンがメンヘラ滅びろって言ったり

そのたびに鬱の重りが増えていく感じがする

精神疾患絶対に隠さないといけない苦しみが増える

全然精神疾患関係ないブログ読んでて突然

「黒髪ロングはメンヘラみたい」

って出てくる

実際美容室に行けない精神疾患の人も多くて(私もそうだった)

女の人はとくに黒髪ロングになりやすい染めたり切ったり出来ないから

「ベリーショートは癌患者みたい」

こんなこと言ったら絶対許されないはずなのにメンヘラだったらいい?

いいと思ってる人達が多いからそんな記述出てくるんだろう

 

今に始まったことじゃなくてずっとずっと病人やセクシャルマイノリティーの人たちは○○みたいwって軽く言われてきてんだろうな

例えば話が聞こえなくて聞き返した時にツンボみたいだよwとか言われてたんだろう

もちろん差別ジョークみたいに今でも言ってる人はいるけど

大抵の人がその言葉にドン引きするように数十年かけてもメンヘラみたいだよwも減っていくといいな

でもこないだうつを公表したタレントの人に向けてメンヘラじゃんみたいなのは私が見る限りなかったんだよな

うつに関してだけ健常者に"許されてきてる"のかな

 

人生半分以上精神疾患が治らなくて苦しくてたまらないけどできるだけ頑張りたいからこういうチクチクした悲しみが減ったら嬉しい

日記というもの

最近ふとした時に、他人の日常ブログを見ると

あまりにしっかりとした日記ばかりにぶつかって目が眩むような感じがする。

私は頭の中の黒い何かばかり書いているので最近は日記などはほとんど書いていない。

なんというか光景の浮かぶような日常のことを文章にしている人たちがすごい、羨ましい

身バレも恐ろしいので薄ぼんやりした感じでしか書けない気がする。

が試しに今日のことを書いてみようかな

 

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死を憧れて生きる

ネガティヴが一向に治らないしいつまでも書き続けちゃうし困ったもんだ

まあ世の中には精神病んで昔死にたかったけど今は生きてて良かったっていうほど回復してる人もいるけど

私は良い配偶者に恵まれて生活できてる今でも

うっすら死への憧れを持ったまま生きてる

私と同じ様に鬱が治ってきても生きてて良かったレベルになれない人たちも、死に憧れながらダラダラ生きていってほしい

正直、自分は生きてて良かったなんて気持ちにはなれる気がしないし

鬱ひどめの時その言葉見たらその気持ちへの遠さとプレッシャーでかなり落ち込んだと思う

でもなんていうか  そんなに激しく人生を喜べない自分を受け入れて私は生きていこうとしている、いまのところ

もうそういう特性と思う、仕方ないのでずっとカウンセリング受けながらもこの器で何十年もやっていく

そうやって宣言して奮い立たせる